No.0052 天地始まりの時

その1「古事記」


世界の様々な宗教・神話は実は始めはどれも同じで「天と地」が作られます。でもほとんどのお話は「始めに神が天と地を作られた」としかありません。実は天地創生でもう少し詳しく書かれているのが日本の「古事記」です。そこで「古事記」の冒頭を読んでみましょう!

「天地(あめつち)はじめの時、高天原(たかまのはら)になりませる、神の名は、 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。次、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)。 次、神産巣日神(かみむすびのかみ)。この三柱(みはしら)の神は、皆ひとり神になりまして、 身を隠したまひき。」

「次、国わかく浮く脂(あぶら)の如くにして、水母(くらげ)なす漂(ただよ)へる時に、 葦牙(あしかび)のごとく燃(も)え上(あが)るものに因りて、なりませる神の名は、 宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)の神。次、天之常立(あまのとこたち)の神。 この二柱(ふたはしら)の神も皆ひとり神になりまして、身を隠したまひき。」

「次、なりませる神の名は国之常立(くにのとこたち)の神。次、豊雲野(とよくもぬ)の神。 この二柱の神もひとり神になりまして、身を隠したまひき。」


すごーく大雑把に解釈してみます。

まだ天地が定まらない時に、高天原(たかまのはら)に三柱「天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、神産巣日神(かみむすびのかみ)」があらわれます。

この世界がまだ若く 浮く脂(あぶら)のようであり、水母(くらげ)のように漂(ただよ)っている時に、葦牙(あしかび)のように燃(も)え上(あが)って天が生まれ、次に地が生まれました。


注意:1)古事記ってちょっとおかしいと感じませんか?「天地(あめつち)はじめの時…」と始まっていますが、「国わかく…天之常立(あまのとこたち)の神…国之常立(くにのとこたち)の神…」と続きます。「天地」のはずが「天」と「国」なんですね。古事記は実は後世の人の手が入っています。修正されているんですね。

「天」には「天之常立(あまのとこたち)の神」、「国」には「国之常立(くにのとこたち)の神」という神の名が入っているので、「国」を「地」に変わえる理由(わけ)にはいきません。それならば、「天国(あめくに)はじめの時」と書いたほうがスッキリします。

実は「国」は国家という意味ではなく、「私達の住む世界」という意味で書かれています。 同じ様な使い方に「おとぎの国」という表現があります。これは「おとぎの世界」ですね。「天(あめ)」と「国(くに)」とは、「天上の世界」と「私達が住むこの世界」なのですが、現代人はどうしても「国」を国家と捉(とら)えがちなので、ここは「天」と「地」に置き換えました。

2)神が生まれる(成りませる)とはその神に由来する現象が同時に起こることを意味します。なので、「天之常立(あまのとこたち)の神がなりませる」とは「天」が生まれたことですし、「国之常立(くにのとこたち)の神がなりませる」とは「国」が生まれたことを意味します。